『ある天文学者の恋文』 永遠の愛のつくり方
『ニュー・シネマ・パラダイス』『鑑定士と顔のない依頼人』などのジュゼッペ・トルナトーレ監督の最新作。
音楽はいつものようにエンニオ・モリコーネ。
原題は「CORRESPONDENCE」で、「文通」とか「通信」といった意味とのこと。

不倫関係にある天文学者エド(ジェレミー・アイアンズ)と教え子のエイミー(オルガ・キュリレンコ)。ふたりは愛しあっていたものの、エドには家庭があり頻繁に会うことはできない。それでもメールやスカイプなどでのやりとりがふたりをつないでいる。
ある日、エイミーは突然エドの死を知らされる。しかしその後にもメールや手紙、メッセージ付きの花などエドからの連絡は続いている。いったいどういうことなのか? エイミーは真相を探るためにエドの暮らしていたエディンバラへと向かう。
※ 以下、色々とネタバレあり!
天文学にたずさわるふたりの恋愛ということもあって、並行宇宙だとかその他の難しげな理論も顔を出す。死者からの便りということでSF的な展開を感じさせなくもないし、前作『鑑定士と顔のない依頼人』のようにミステリー仕立ての部分もあるのだけれど、意外にもシンプルな恋愛ものになっていたと思う。
エイミーの論文は「死せる星との対話」という題名だった。今、この瞬間に夜空に輝く光は地球に届くまで長い時間を旅してきたものであり、現在の姿ではない。天文学者の仕事はすでに消滅しているかもしれない星との対話のようなもの。これはもちろんエドとエイミーとのやりとりのことをも指していて、エドは病で亡くなっていたことが明らかになる。
遺書というのは死者からの手紙だが、それは通常一度限りのものになる。しかし、この映画でエドが用意した手紙やメールは一度だけではなくいつまでも続いていく。もともとエドは勘のいい人物で、エイミーの行動を予測して魔術師のような先回りを演出して彼女を喜ばせたりしていた。エドはすべての可能性を考え、分岐する世界のそれぞれに適合するようなメッセージを残していたということになる(きちんと中止や再開までもが予定に組み込まれている)。

『君の名は。』(実はまだ観ていない)が大ヒット中の新海誠監督のデビュー作『ほしのこえ』では、遠く離れた主人公ふたりの距離感が強調される。戦争で宇宙の彼方へ行くことになった少年だが、通信手段はメールしかない。しかもメールが届くのには8年半もの時間がかかる。そのころ相手がどうしているかなんてまったく予想もつかないだろう(それでも心のなかではつながっているというのがミソなのだろう)。
しかし、この『ある天文学者の恋文』ではそうした距離は感じられない。映画のなかに登場する「かに星雲」は7000光年の彼方にあるのだという。たとえ光の速さで進んだとしても7000年かかるというわけで、人間がたどり着けるような場所ではない。「この世」と「あの世」の距離はそれ以上にはてしないものだろう。それにも関わらずこの映画ではいかにもタイミングよくメールが届き、エイミーを癒してみたり将来への指針を与えたりもする。エイミーはいつでもエドに見守られているような感覚になるだろう。
もちろんエドは魔術師ではないし、神様でもない。タネを明かしてしまえば、エドが生前に自分が信頼する人間にメッセージを託していたということになる。エドがどれだけのメッセージを用意していたのかはわからないけれど、エイミーの今後の人生の節目にメッセージが届くとすればエイミーにとってはエドの存在は永遠みたいなものになるのかもしれない。
何ともロマンチックな話だけれど、その設定を整えるためにかなりご都合主義な部分も見受けられる。エドの周囲の人物があまりに協力的で、エイミーを恨んでも当然のエドの娘までもが親切にしてくれるのは美談すぎて気味が悪い。エイミーの抱えるトラウマも、エドがその後を心配して「見守りシステム」を作り上げるための原因として必要とされたのだろう。ただそのトラウマによって臨時仕事としてスタントをこなしていたりもして、星空を見上げるロマンチストの部分と火だるまになってみたりする破滅的な部分が妙にちぐはぐに感じられた。
とはいえエイミーを演じるオルガ・キュリレンコはとても美しい。エド役のジェレミー・アイアンズは冒頭に登場して以降は録画された動画のなかにしか出番はなく、あとはオルガ・キュリレンコの一人芝居のように進んでいく。だからかどうかはわからないけれど、あまり必然性がない場面でも意外にオルガ・キュリレンコのサービスカットも多い。オルガ・キュリレンコが気になる人にはお薦めかと。




音楽はいつものようにエンニオ・モリコーネ。
原題は「CORRESPONDENCE」で、「文通」とか「通信」といった意味とのこと。

不倫関係にある天文学者エド(ジェレミー・アイアンズ)と教え子のエイミー(オルガ・キュリレンコ)。ふたりは愛しあっていたものの、エドには家庭があり頻繁に会うことはできない。それでもメールやスカイプなどでのやりとりがふたりをつないでいる。
ある日、エイミーは突然エドの死を知らされる。しかしその後にもメールや手紙、メッセージ付きの花などエドからの連絡は続いている。いったいどういうことなのか? エイミーは真相を探るためにエドの暮らしていたエディンバラへと向かう。
※ 以下、色々とネタバレあり!
天文学にたずさわるふたりの恋愛ということもあって、並行宇宙だとかその他の難しげな理論も顔を出す。死者からの便りということでSF的な展開を感じさせなくもないし、前作『鑑定士と顔のない依頼人』のようにミステリー仕立ての部分もあるのだけれど、意外にもシンプルな恋愛ものになっていたと思う。
エイミーの論文は「死せる星との対話」という題名だった。今、この瞬間に夜空に輝く光は地球に届くまで長い時間を旅してきたものであり、現在の姿ではない。天文学者の仕事はすでに消滅しているかもしれない星との対話のようなもの。これはもちろんエドとエイミーとのやりとりのことをも指していて、エドは病で亡くなっていたことが明らかになる。
遺書というのは死者からの手紙だが、それは通常一度限りのものになる。しかし、この映画でエドが用意した手紙やメールは一度だけではなくいつまでも続いていく。もともとエドは勘のいい人物で、エイミーの行動を予測して魔術師のような先回りを演出して彼女を喜ばせたりしていた。エドはすべての可能性を考え、分岐する世界のそれぞれに適合するようなメッセージを残していたということになる(きちんと中止や再開までもが予定に組み込まれている)。

『君の名は。』(実はまだ観ていない)が大ヒット中の新海誠監督のデビュー作『ほしのこえ』では、遠く離れた主人公ふたりの距離感が強調される。戦争で宇宙の彼方へ行くことになった少年だが、通信手段はメールしかない。しかもメールが届くのには8年半もの時間がかかる。そのころ相手がどうしているかなんてまったく予想もつかないだろう(それでも心のなかではつながっているというのがミソなのだろう)。
しかし、この『ある天文学者の恋文』ではそうした距離は感じられない。映画のなかに登場する「かに星雲」は7000光年の彼方にあるのだという。たとえ光の速さで進んだとしても7000年かかるというわけで、人間がたどり着けるような場所ではない。「この世」と「あの世」の距離はそれ以上にはてしないものだろう。それにも関わらずこの映画ではいかにもタイミングよくメールが届き、エイミーを癒してみたり将来への指針を与えたりもする。エイミーはいつでもエドに見守られているような感覚になるだろう。
もちろんエドは魔術師ではないし、神様でもない。タネを明かしてしまえば、エドが生前に自分が信頼する人間にメッセージを託していたということになる。エドがどれだけのメッセージを用意していたのかはわからないけれど、エイミーの今後の人生の節目にメッセージが届くとすればエイミーにとってはエドの存在は永遠みたいなものになるのかもしれない。
何ともロマンチックな話だけれど、その設定を整えるためにかなりご都合主義な部分も見受けられる。エドの周囲の人物があまりに協力的で、エイミーを恨んでも当然のエドの娘までもが親切にしてくれるのは美談すぎて気味が悪い。エイミーの抱えるトラウマも、エドがその後を心配して「見守りシステム」を作り上げるための原因として必要とされたのだろう。ただそのトラウマによって臨時仕事としてスタントをこなしていたりもして、星空を見上げるロマンチストの部分と火だるまになってみたりする破滅的な部分が妙にちぐはぐに感じられた。
とはいえエイミーを演じるオルガ・キュリレンコはとても美しい。エド役のジェレミー・アイアンズは冒頭に登場して以降は録画された動画のなかにしか出番はなく、あとはオルガ・キュリレンコの一人芝居のように進んでいく。だからかどうかはわからないけれど、あまり必然性がない場面でも意外にオルガ・キュリレンコのサービスカットも多い。オルガ・キュリレンコが気になる人にはお薦めかと。
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