『イロイロ ぬくもりの記憶』 シンガポールの家族事情について
カンヌ国際映画祭でカメラ・ドール(新人監督賞)を受賞したシンガポール映画。監督・脚本はアンソニー・チェン。
原題の「爸媽不在家」は「父と母のいない家」を意味するとのこと。ちなみに題名の“イロイロ”とは地名で、アンソニー・チェンのメイドだった人の出身地。
アン・リー監督はこの作品について「アート性の強い映画が多い中、誠実で正直な映像のあり方が突出している」と誉めている。

学校で問題を起こしてばかりの一人息子ジャールー(コー・ジア・ルー)に手を焼いた両親は、住み込みのメイドを雇うことになる。フィリピンからやってきたテレサ(アンジェリ・バヤニ)は、子供部屋でジャールーと寝起きを共にすることになる。
ジャールーは落ち着きがなくて、暴れん坊で手が掛かりそうだし、手懐けるのも難しそう。ジャールー自身もテレサの存在に戸惑い、最初は意地悪をしてみたりもする。それでもテレサは祖国に帰るわけにはいかずに踏みとどまり、ふたりはいつも一緒にいるうちに次第に打ち解けていくようになる。
この『イロイロ ぬくもりの記憶』がよかったのは、ハートウォーミングな触れ合いだけで終わるのではなく、シンガポールという国の家族が時代に翻弄されるあたりを描いているからだ。シンガポールは多民族国家で、この映画でも中国系の家族のなかに、フィリピンからメイドがやってくるところからスタートする。シンガポールでは共働きの家庭が多いらしく、メイドを雇う家庭もめずらしくはないのだとか。
一方、メイドのテレサは、フィリピンにまだ1歳にもならない子供を残して出稼ぎに来ている。そして仕事が休める日曜日には、街に出てこっそりバイトをして金を稼がなければならない事情もあるらしい。それでもシンガポールで働くほうが金にはなるようで、シンガポールには出稼ぎのフィリピン人が多いようだ。そんなほとんど知らなかったシンガポールのお国事情も垣間見える。

中盤にテレサがたまたま飛び降り自殺を目撃する場面がある(ここでのテレサの腕にはリストカットの跡があったようにも見える)。その理由は説明されないけれど、時代背景としては1997年のアジア通貨危機がある。この映画の後半は、そうした経済的な背景からジャールーの家族がゆっくりと崩壊していく過程が描かれていく。
父親(チェン・ティエンウェン)は株に手を出して大損し、それまでの営業職もクビになり、バイトで警備員をしている。しかもそれを誰にも言うことができずに隠している。母親(ヤオ・ヤンヤン)の勤務する会社ではリストラが横行し、出稼ぎ労働者たちはどんどん切り捨てられていく。そんななかで二人目の子供を身ごもっている彼女は、将来に対する不安からか、自己啓発めいた詐欺にひっかかることになる(「希望はあなたのなかにある」というのが口説き文句)。結局、どちらもそれぞれに失敗して、経済的に破綻してしまい、メイドを雇う余裕はなくなることになる。
おもしろいのはジャールーの趣味が、ロトくじの当選番号を記録することだということ(当選番号の規則性を見つけ出して、一度はくじを当てもする)。ジャールーは最後にロトくじに一発逆転の願いをかける。当たればメイドのテレサと別れずに済むからだ。しかし漫画『カイジ』シリーズでも散々説かれていたことだけれど、“運否天賦”に賭けるときは必ず負けることになるわけで、そんなところに願をかけてしまうのはほとんど破れかぶれであり、希望が社会のどこにも見当たらないということでもあるのだと思う。
それでも最後には第二子も誕生したわけで、不思議にも家族が経済的に破綻したという暗さはあまりなかった。それというのも、ふたりの母親がそれぞれの子供を自らの手で育てることができないという状況は解消されることになるからだ。ジャールーの母親は、ジャールーがテレサと仲良くなることに嫉妬を感じてもいたわけで、これからはジャールーとも新しい子供ともさらに向き合うことになるだろうとも思わせるのだ。

原題の「爸媽不在家」は「父と母のいない家」を意味するとのこと。ちなみに題名の“イロイロ”とは地名で、アンソニー・チェンのメイドだった人の出身地。
アン・リー監督はこの作品について「アート性の強い映画が多い中、誠実で正直な映像のあり方が突出している」と誉めている。

学校で問題を起こしてばかりの一人息子ジャールー(コー・ジア・ルー)に手を焼いた両親は、住み込みのメイドを雇うことになる。フィリピンからやってきたテレサ(アンジェリ・バヤニ)は、子供部屋でジャールーと寝起きを共にすることになる。
ジャールーは落ち着きがなくて、暴れん坊で手が掛かりそうだし、手懐けるのも難しそう。ジャールー自身もテレサの存在に戸惑い、最初は意地悪をしてみたりもする。それでもテレサは祖国に帰るわけにはいかずに踏みとどまり、ふたりはいつも一緒にいるうちに次第に打ち解けていくようになる。
この『イロイロ ぬくもりの記憶』がよかったのは、ハートウォーミングな触れ合いだけで終わるのではなく、シンガポールという国の家族が時代に翻弄されるあたりを描いているからだ。シンガポールは多民族国家で、この映画でも中国系の家族のなかに、フィリピンからメイドがやってくるところからスタートする。シンガポールでは共働きの家庭が多いらしく、メイドを雇う家庭もめずらしくはないのだとか。
一方、メイドのテレサは、フィリピンにまだ1歳にもならない子供を残して出稼ぎに来ている。そして仕事が休める日曜日には、街に出てこっそりバイトをして金を稼がなければならない事情もあるらしい。それでもシンガポールで働くほうが金にはなるようで、シンガポールには出稼ぎのフィリピン人が多いようだ。そんなほとんど知らなかったシンガポールのお国事情も垣間見える。

中盤にテレサがたまたま飛び降り自殺を目撃する場面がある(ここでのテレサの腕にはリストカットの跡があったようにも見える)。その理由は説明されないけれど、時代背景としては1997年のアジア通貨危機がある。この映画の後半は、そうした経済的な背景からジャールーの家族がゆっくりと崩壊していく過程が描かれていく。
父親(チェン・ティエンウェン)は株に手を出して大損し、それまでの営業職もクビになり、バイトで警備員をしている。しかもそれを誰にも言うことができずに隠している。母親(ヤオ・ヤンヤン)の勤務する会社ではリストラが横行し、出稼ぎ労働者たちはどんどん切り捨てられていく。そんななかで二人目の子供を身ごもっている彼女は、将来に対する不安からか、自己啓発めいた詐欺にひっかかることになる(「希望はあなたのなかにある」というのが口説き文句)。結局、どちらもそれぞれに失敗して、経済的に破綻してしまい、メイドを雇う余裕はなくなることになる。
おもしろいのはジャールーの趣味が、ロトくじの当選番号を記録することだということ(当選番号の規則性を見つけ出して、一度はくじを当てもする)。ジャールーは最後にロトくじに一発逆転の願いをかける。当たればメイドのテレサと別れずに済むからだ。しかし漫画『カイジ』シリーズでも散々説かれていたことだけれど、“運否天賦”に賭けるときは必ず負けることになるわけで、そんなところに願をかけてしまうのはほとんど破れかぶれであり、希望が社会のどこにも見当たらないということでもあるのだと思う。
それでも最後には第二子も誕生したわけで、不思議にも家族が経済的に破綻したという暗さはあまりなかった。それというのも、ふたりの母親がそれぞれの子供を自らの手で育てることができないという状況は解消されることになるからだ。ジャールーの母親は、ジャールーがテレサと仲良くなることに嫉妬を感じてもいたわけで、これからはジャールーとも新しい子供ともさらに向き合うことになるだろうとも思わせるのだ。
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