『リトル・ボーイ 小さなボクと戦争』 からし種一粒ほどの信仰
メキシコ出身のアレハンドロ・モンテベルデ。
メキシコの映画賞ルミナス賞では作品賞・最優秀監督賞・新人賞(ジェイコブ・サルバーティ)の3冠を達成した。

成長障害なのか背が伸びず、みんなから“リトル・ボーイ”とからかわれるペッパー少年(ジェイコブ・サルバーティ)が主人公。ペッパーにとって父親(マイケル・ラパポート)は憧れであり、相棒のような存在だ。しかし、そんな相棒は戦争に行くことになり、フィリピンで日本軍に捕虜にされたという知らせが飛び込んでくる。
ペッパーは素直すぎるくらい素直な子だ。奇術師ベン・イーグルのマジックのことも信じていたのだろうし、自分がそのアシスタントとして念力で空きビンを引き寄せる術を成功させたことで、自分にも同様の力があるのかもと思い込むことになる。そして、その力を使って遠い戦場にいる父親を自分たちの元へと連れ戻すことができないかと考えるのだ。
ペッパーは父親奪還作戦を司祭に相談すると、司祭(トム・ウィルキンソン)は昔から受け継がれてきたリストをペッパーに授ける。そのリストには「飢えた人に食べ物を」「囚人を励ませ」といった道徳的なことが書かれているのだが、司祭はそれにひとつの項目を追加する。「ハシモトに親切を」というのがそれだ。ハシモトとはペッパーの村にいる唯一の日系人であり、つまりはアメリカの敵となる。だから、この言葉は聖書のなかにある「敵を愛せ」という教えを示している。司祭はそれらのリストをクリアすることで、もしかすると神様に願いが届くかもしれないと語る。果たしてペッパーの願いは成就されるのか?
※ 以下、ネタバレもあり!

この映画は「信じること」についての物語となっている。父親とペッパーとの合言葉は「やれるって信じてるか?」「やれるさ」というものだった。夢見がちな男ふたりは、西部劇や海賊船などを舞台にした危機に遭遇するという幻想のなかで、必ずその合言葉で危機を乗り切ることになる。
司祭はペッパーの念力の話を聞くと、それをバカにしたりはせずに目の前でペッパーに実演させる。もちろん奇術師のトリックがなければ離れたところにあるビンを引き寄せることはできない。しかし、司祭は自らの手でビンを移動させておいて、ペッパーの信じる力が司祭を動かしたという論理でもって、ペッパーに「信じること」の大切さを説くことになるのだ。
日系人のハシモト(ケイリー=ヒロユキ・タガワ)は最初はペッパーのことを疎ましく思っている。ペッパーもハシモトを父親の敵として嫌っていたわけだけれど、ペッパーは父親を連れ戻すためにハシモトに親切にする。結局はペッパーの父親を思う気持ちにほだされる形になり、リストを達成するための手伝いをすることになる。そんな意味では「信じること」は直接物体を移動させたりする力なくても、何らかの形で周囲に影響を与え世の中を動かす力を持つかもしれないのだ。
物語の結末は歴史が示す通りで、“リトル・ボーイ”と呼ばれたペッパーの願いは原子爆弾「リトル・ボーイ」の広島への投下という形になる。ここの部分は被爆国の人間としては何とも複雑ではあるけれど、ペッパー少年があまりにかわいらしいので許せるような気もする(ペッパーの悪夢のなかに贖罪の気持ちも描かれている)。
ハシモトを演じたケイリー=ヒロユキ・タガワとか、現実的で堅実な母親を演じたエミリー・ワトソンとか脇役たちも好演だったと思う。
監督のアレハンドロ・モンテベルデはメキシコ出身。その出自だから何がどう違うのかはわからないけれど、映画界ではメキシコ勢の勢力が増しているようにも感じられる。『レヴェナント:蘇えりし者』のアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ、『パシフィック・リム』のギレルモ・デル・トロ、『ゼロ・グラビティ』のアルフォンソ・キュアロンあたりはすでに有名どころ。そのほかにも『或る終焉』のミッシェル・フランコは注目株だろうし、カルロス・レイガダスの『闇のあとの光』はわけがわからなくてあっけにとられる作品だったがインパクトもあったと思う。そんなわけでメキシコ勢には妙に覇気が感じられる。今回の『リトル・ボーイ 小さなボクと戦争』は先達たちほどの個性は感じないけれど、ペッパー少年のけなげさがとても感動的で泣かされる話だった。


メキシコの映画賞ルミナス賞では作品賞・最優秀監督賞・新人賞(ジェイコブ・サルバーティ)の3冠を達成した。

成長障害なのか背が伸びず、みんなから“リトル・ボーイ”とからかわれるペッパー少年(ジェイコブ・サルバーティ)が主人公。ペッパーにとって父親(マイケル・ラパポート)は憧れであり、相棒のような存在だ。しかし、そんな相棒は戦争に行くことになり、フィリピンで日本軍に捕虜にされたという知らせが飛び込んでくる。
ペッパーは素直すぎるくらい素直な子だ。奇術師ベン・イーグルのマジックのことも信じていたのだろうし、自分がそのアシスタントとして念力で空きビンを引き寄せる術を成功させたことで、自分にも同様の力があるのかもと思い込むことになる。そして、その力を使って遠い戦場にいる父親を自分たちの元へと連れ戻すことができないかと考えるのだ。
ペッパーは父親奪還作戦を司祭に相談すると、司祭(トム・ウィルキンソン)は昔から受け継がれてきたリストをペッパーに授ける。そのリストには「飢えた人に食べ物を」「囚人を励ませ」といった道徳的なことが書かれているのだが、司祭はそれにひとつの項目を追加する。「ハシモトに親切を」というのがそれだ。ハシモトとはペッパーの村にいる唯一の日系人であり、つまりはアメリカの敵となる。だから、この言葉は聖書のなかにある「敵を愛せ」という教えを示している。司祭はそれらのリストをクリアすることで、もしかすると神様に願いが届くかもしれないと語る。果たしてペッパーの願いは成就されるのか?
※ 以下、ネタバレもあり!

この映画は「信じること」についての物語となっている。父親とペッパーとの合言葉は「やれるって信じてるか?」「やれるさ」というものだった。夢見がちな男ふたりは、西部劇や海賊船などを舞台にした危機に遭遇するという幻想のなかで、必ずその合言葉で危機を乗り切ることになる。
司祭はペッパーの念力の話を聞くと、それをバカにしたりはせずに目の前でペッパーに実演させる。もちろん奇術師のトリックがなければ離れたところにあるビンを引き寄せることはできない。しかし、司祭は自らの手でビンを移動させておいて、ペッパーの信じる力が司祭を動かしたという論理でもって、ペッパーに「信じること」の大切さを説くことになるのだ。
日系人のハシモト(ケイリー=ヒロユキ・タガワ)は最初はペッパーのことを疎ましく思っている。ペッパーもハシモトを父親の敵として嫌っていたわけだけれど、ペッパーは父親を連れ戻すためにハシモトに親切にする。結局はペッパーの父親を思う気持ちにほだされる形になり、リストを達成するための手伝いをすることになる。そんな意味では「信じること」は直接物体を移動させたりする力なくても、何らかの形で周囲に影響を与え世の中を動かす力を持つかもしれないのだ。
物語の結末は歴史が示す通りで、“リトル・ボーイ”と呼ばれたペッパーの願いは原子爆弾「リトル・ボーイ」の広島への投下という形になる。ここの部分は被爆国の人間としては何とも複雑ではあるけれど、ペッパー少年があまりにかわいらしいので許せるような気もする(ペッパーの悪夢のなかに贖罪の気持ちも描かれている)。
ハシモトを演じたケイリー=ヒロユキ・タガワとか、現実的で堅実な母親を演じたエミリー・ワトソンとか脇役たちも好演だったと思う。
監督のアレハンドロ・モンテベルデはメキシコ出身。その出自だから何がどう違うのかはわからないけれど、映画界ではメキシコ勢の勢力が増しているようにも感じられる。『レヴェナント:蘇えりし者』のアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ、『パシフィック・リム』のギレルモ・デル・トロ、『ゼロ・グラビティ』のアルフォンソ・キュアロンあたりはすでに有名どころ。そのほかにも『或る終焉』のミッシェル・フランコは注目株だろうし、カルロス・レイガダスの『闇のあとの光』はわけがわからなくてあっけにとられる作品だったがインパクトもあったと思う。そんなわけでメキシコ勢には妙に覇気が感じられる。今回の『リトル・ボーイ 小さなボクと戦争』は先達たちほどの個性は感じないけれど、ペッパー少年のけなげさがとても感動的で泣かされる話だった。
![]() |

![]() |

スポンサーサイト