『希望のかなた』 フィンランドのスシ屋には行かないほうがよさそう
『レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ』『ル・アーヴルの靴みがき』などのアキ・カウリスマキ監督の最新作。
第67回ベルリン国際映画祭で銀熊賞(監督賞)を受賞した作品。

シリアで家族を亡くし逃げ出してきたカーリド(シェルワン・ハジ)は、フィンランドにたどり着き難民申請をする。しかし、フィンランド政府はカーリドを難民として認めようとはせず、カーリドは強制送還されようとするのだが……。
この作品は前作『ル・アーヴルの靴みがき』に続き、「難民三部作」と位置づけられている。カウリスマキは公式ホームページで「私がこの映画で目指したのは、難民のことを哀れな犠牲者か、さもなければ社会に侵入しては仕事や妻や家や車をかすめ取る、ずうずうしい経済移民だと決めつけるヨーロッパの風潮を打ち砕くことです。」と真っ直ぐなメッセージを寄せている。
確かにカーリドがシリアで起きた出来事を語るシーンには切実なものがあるし、難民を嫌う極右連中が現れてカーリドを痛めつけようとするなどシビアな部分もある。それでもカウリスマキ作品のフィンランドの人たちは不器用ながらもカーリドに手を差し伸べることになるから、観客としても温かい気持ちにさせられる作品になっていると思う。
登場人物は総じて無表情なのだけれど、見ていると次第にユーモアに溢れているように感じられてくる。そんなカウリスマキのスタイルはこの作品でも健在。私も大いに楽しませてもらったのだけれど、作品について分析めいたことを書こうとするとお手上げといった気持ちにもなる。カウリスマキの作品は理論めいたバックボーンがあるかと言えばそんなものはないようにも見え、「無手勝流」と言ったほうが当たっているような気がするからだ。
たとえば前作の『ル・アーヴルの靴みがき』のラストは感動的ですらあったのだけれど、なぜそんなラストが導かれるのかと言えばまったくわからないわけで、これはもうカウリスマキがそのように決めたからとしか言えないような展開だったのだ。
この『希望のかなた』もそのあたりは同様で、カーリドを助けることになるヴィクストロム(サカリ・クオスマネン)がポーカーで大金を手にするのにも特段理由付けがあるわけでもないし、たまたま拾ったカーリドを匿うようになる動機の説明も特にはない。それからあまり有名とは思えないバンドの音楽を延々と聴かせてみたりするのも、単純にそのバンドがカウリスマキのお気に入りだからなのだろうと思う(終盤でカーリドが奏でる弦楽器の音色も素晴らしかった)。
小津ファンであるカウリスマキの“日本贔屓”なところも散見され、カティ・オウティネンには「メキシコで日本酒を飲んでフラを踊るの」みたいなことを言わせているし、物語も佳境に入った後半になってヴィクストロムが経営するレストランをスシ屋に改装するといったコントみたいな挿話が登場したりもする(ワサビスシ!)。こういったすべてがデタラメのようでもあり、カウリスマキ独自の呼吸で整えられた名人芸のようでもある。うまく説明することはできないけれど、クセになる魅力があるのもまた間違いない。


アキ・カウリスマキの作品

第67回ベルリン国際映画祭で銀熊賞(監督賞)を受賞した作品。

シリアで家族を亡くし逃げ出してきたカーリド(シェルワン・ハジ)は、フィンランドにたどり着き難民申請をする。しかし、フィンランド政府はカーリドを難民として認めようとはせず、カーリドは強制送還されようとするのだが……。
この作品は前作『ル・アーヴルの靴みがき』に続き、「難民三部作」と位置づけられている。カウリスマキは公式ホームページで「私がこの映画で目指したのは、難民のことを哀れな犠牲者か、さもなければ社会に侵入しては仕事や妻や家や車をかすめ取る、ずうずうしい経済移民だと決めつけるヨーロッパの風潮を打ち砕くことです。」と真っ直ぐなメッセージを寄せている。
確かにカーリドがシリアで起きた出来事を語るシーンには切実なものがあるし、難民を嫌う極右連中が現れてカーリドを痛めつけようとするなどシビアな部分もある。それでもカウリスマキ作品のフィンランドの人たちは不器用ながらもカーリドに手を差し伸べることになるから、観客としても温かい気持ちにさせられる作品になっていると思う。
登場人物は総じて無表情なのだけれど、見ていると次第にユーモアに溢れているように感じられてくる。そんなカウリスマキのスタイルはこの作品でも健在。私も大いに楽しませてもらったのだけれど、作品について分析めいたことを書こうとするとお手上げといった気持ちにもなる。カウリスマキの作品は理論めいたバックボーンがあるかと言えばそんなものはないようにも見え、「無手勝流」と言ったほうが当たっているような気がするからだ。
たとえば前作の『ル・アーヴルの靴みがき』のラストは感動的ですらあったのだけれど、なぜそんなラストが導かれるのかと言えばまったくわからないわけで、これはもうカウリスマキがそのように決めたからとしか言えないような展開だったのだ。
この『希望のかなた』もそのあたりは同様で、カーリドを助けることになるヴィクストロム(サカリ・クオスマネン)がポーカーで大金を手にするのにも特段理由付けがあるわけでもないし、たまたま拾ったカーリドを匿うようになる動機の説明も特にはない。それからあまり有名とは思えないバンドの音楽を延々と聴かせてみたりするのも、単純にそのバンドがカウリスマキのお気に入りだからなのだろうと思う(終盤でカーリドが奏でる弦楽器の音色も素晴らしかった)。
小津ファンであるカウリスマキの“日本贔屓”なところも散見され、カティ・オウティネンには「メキシコで日本酒を飲んでフラを踊るの」みたいなことを言わせているし、物語も佳境に入った後半になってヴィクストロムが経営するレストランをスシ屋に改装するといったコントみたいな挿話が登場したりもする(ワサビスシ!)。こういったすべてがデタラメのようでもあり、カウリスマキ独自の呼吸で整えられた名人芸のようでもある。うまく説明することはできないけれど、クセになる魅力があるのもまた間違いない。
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アキ・カウリスマキの作品

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