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『魂のゆくえ』 奇跡か? 妄想か?

 『ドッグ・イート・ドッグ』などのポール・シュレイダーの監督作。
 原題は「First Reformed」。これは主人公トラーが牧師を務める教会のこと。

ポール・シュレイダー 『魂のゆくえ』 トラー牧師を演じるのはイーサン・ホーク。


 ニューヨーク州北部にある小さな教会のトラー牧師(イーサン・ホーク)は、信者のメアリー(アマンダ・セイフライド)から相談を受ける。夫のマイケル(フィリップ・エッティンガー)が彼女の妊娠を快く思っていないというのだ。マイケルは地球の環境汚染を憂いており、そんな世の中に自分の子供を送り出すことを心配しているのだ。

 トラー牧師は全身全霊を込めてマイケルと向き合う。というのも、トラー自身もイラク戦争で息子を亡くし、それが原因で離婚するという苦難な状況を生き抜いてきたからだ。しかし、トラーの説得も虚しく、後日マイケルは銃で自らの頭を吹き飛ばして死んでしまう。そして、マイケルがエコテロリストとして使うつもりだった爆弾がトラー牧師に残されることになる。
 マイケルの死後、トラーは彼の遺志を受け継いだかのように環境問題にのめりこんでいく。トラーの教会の上部組織は環境汚染の当事者である企業から献金を受けていることもあり、トラーは「地球のために為すべきこと」と「教会を守るためには目をつぶらなければならないこと」との間で葛藤することになる。

◆トラーとトラヴィス

 胃を痛めているトラー牧師が日記を書きつつ、それに自身の声が重ねられるあたりは『田舎司祭の日記』にそっくりだし、彼に悩みを打ち明けた男が自殺してしまうという展開は『冬の光』をなぞっている。しかし、その後の展開を追っていくと、本作はポール・シュレイダーが脚本を書いた『タクシードライバー』の主題と似通っていると気がつくことになるだろう。
 『タクシードライバー』の主人公トラヴィスは、汚れた世の中を浄化する雨はいつ降るのかと考え、その偏った正義感を肥大させ実際に行動を起こすことになる。それに対して『魂のゆくえ』のトラー牧師は、地球が破滅に向かうのを防ごうとする側にいるのだが、後半に彼がマイケルの残した爆弾を使用することを決意するあたりでは、トラヴィスと同様の極端な行動に走っている。
 『タクシードライバー』の「汚れた世の中を浄化する雨」というのは、ノアの箱舟のエピソードを思わせるが、『魂のゆくえ』にもそれを匂わせる台詞がある。環境破壊を放っておけないトラーに対し、上部組織のジェファーズ牧師(セドリック・カイルズ)はこの環境汚染そのものが神の御心かもしれないと反論する。聖書では神は一度この世を滅ぼしているからだ(「40日間の苦難」みたいな台詞があったはず)。
 結論から言えば、トラーはトラヴィスになることに失敗することになる。ポール・シュレイダーは本作の構想を50年前から抱いていたというのだが、ここにどんな意味合いを込めたのだろうか。
 『タクシードライバー』では、トラヴィスはアイリスという少女を救うためにヒモの男たちを皆殺しにする。これはもちろん行き過ぎた行為なのだが、メディアはトラヴィスをヒーローとして扱う。ここまでは映画の話だが、それに影響された観客のひとりが大統領暗殺未遂という事件を起こしたことも有名だ。そうした勘違いを煽らないために、『魂のゆくえ』のトラー牧師は最後に失敗したということなのだろうか。

『魂のゆくえ』 イーサン・ホークは静かに牧師役を熱演している。

◆希望と絶望
 トラー牧師は地球の未来に対して絶望的な気持ちを抱いているマイケルに対し、こんな言葉を投げかけていた。「矛盾した二つの真理が同時に存在している、希望と絶望のように」と。トラーも息子を亡くし絶望的なときもあったはずだが、それと同時に希望もある。そんな言葉でマイケルを説得しようとする。
 この言葉は、「生きていれば世の中にはいいことも悪いこともあるよね」といった気休めにも聞こえるのだが、本当にそうなのだろうか。カトリックの神父が探偵として活躍する『ブラウン神父』シリーズの作者としても知られるG・K・チェスタトンは、キリスト教擁護論の古典とみなされている『正統とは何か』でこんなことを書いている。

キリスト教は激越に対立する二つのものを一つにまとめるという難事をやってのけたのだ。しかもその方法は、ここでもまた、二つのものを二つながらまったく生かして、二つながら激越なるがままに包みこむという方法だった。


 これは希望と絶望が同時に成り立つというトラー牧師の考えそのものだろう。というのも、キリスト教の教義にはそうした矛盾があちこちに見られる。たとえばキリストは神であり、同時に人間でもあるという。キリストは半分神で、半分人間なのではなく、同時にどちらでもあるというのだから、普通の人にはわかりかねるのだが、キリスト教においてはその矛盾がそのまま根本的な教義となっているのだ。
 この矛盾とは何か。これは単に矛盾を肯定するというだけではないのだ。チェスタトンは、「キリスト教の教義に何かしら妙なところが見つかる時は、事実のほうでも何かしら妙なところが見つかる時だということである」とも論じている。つまり聖書に奇跡が書かれていて、それが妙なことだと思うとしても、実は現実にもそういうことが起こり得るのだということにもつながっていくのだ。
 また、チェスタトンは同じ本のなかでこんなことも書いている。「狂人とは理性を失った人ではない。狂人とは、理性以外のあるゆる物を失った人である」。つまりは理性的でありすぎるからこそ狂人になってしまうのであり、理性的でありすぎると希望も絶望も同時に存在するというような矛盾を生きることができないことになるのだ。
 トラー牧師はマイケルとの話し合いのなかでは矛盾をそのまま受け入れることの重要性を説いていたのに、マイケルの死後にはそうした矛盾が許せなくなっていく。付け加えておけば、『タクシードライバー』のトラヴィスもベッツィーに「歩く矛盾」などと言われていたのだが、ベッツィーと別れた後に狂気に向かっていったように見える。ポール・シュレイダーが脚本を書いたこの2つの作品でどちらも“矛盾”というキーワードが登場するのは偶然とは思えない。

『魂のゆくえ』 メアリー(アマンダ・セイフライド)はトラー牧師を導くような働きを。イーサン・ホークの頭の上にあるものが神の目のようにも見える!

◆奇跡か? 妄想か?
 実はポール・シュレイダー自身も、本作のトラー牧師と同じように牧師の息子なのだそうだ。ちなみに『冬の光』の監督イングマール・ベルイマンも牧師の息子である。『冬の光』は“神の沈黙”三部作の一つでもあり、神が人間に働きかけることなど一切ないのだが、『魂のゆくえ』ではラストで奇跡のような出来事が起きる。「奇跡のような出来事」と曖昧な言い方になるのは、本作のラストは奇跡のようにも感じられるし、トラーの妄想のようにも感じられるからだ。
 トラーは神の使いのようなメアリーに導かれ、ふたりの空中浮揚しながら上空から地球の様子を見せられる。それをきっかけに爆弾テロを決意したトラーは、自身の教会の記念式典においてテロを決行しようとする。しかし、その式典のなかにメアリーを発見したトラーは混乱のなかで自殺しようとするのだが、鍵のかかっていたはずの家のなかにメアリーが現れ、ふたりは歓喜のなかでキスをしつつ唐突に映画は終わることになる。
 このラストは自殺を図ったトラーが抱いた妄想と考えるのが妥当かもしれない。最後の唐突な暗転は、トラーの意識が失われたことを示していると考えられるからだ。その一方で何だかよくわからないが奇跡的な出来事が起きて、トラーの魂に救いが与えられたかのようにも見えなくもない。
 シュレイダーは意図的にどちらにでも解釈できるように演出しているということなのだろう。そして、この「奇跡か、(死を前にした)妄想か」というラストは、トラー牧師が説いた「希望と絶望が同時に存在する」という教えのようにも感じられるのだ。先に説明したようにそうした矛盾はキリスト教において正統な立場とも言える。そして、その立場からすれば、奇跡は起こり得るのだ。
 牧師の息子であるベルイマンが懐疑的な立場で『冬の光』をつくり、それに対して同じく牧師の息子のシュレイダーはキリスト教の正統的な立場から『魂のゆくえ』を撮ったということなのかもしれない。だから本作のトラー牧師がトラヴィスになることに失敗したということも、何かに配慮してというわけではないわけではないのだろう。シュレイダーは映画評論家として活動していた時期もあるようで、手に入りにくそうな『聖なる映画―小津/ブレッソン/ドライヤー』という自身の本において、『奇跡』などを撮ったカール・テオドール・ドライヤーなどを論じているのだとか。そうした長きに渡る研究の成果が本作には詰まっているように思えた。

 本作は観る人によっては退屈極まりない作品なのかもしれず、トラー牧師とメアリーが体を重ね合って宙に浮かぶ、ふたりの呼吸が聞こえてくるような静かな場面では、観客の寝息のほうが響いてくるという状況でもあった。ただ、トラー牧師とマイケルとの息詰まる対峙の場面に引き込まれた人もいるはずで、私はそちら側だった。呆気にとられるラストだが、深い意味が込められているように感じ、あれこれ考えつつ書いたのが上記の文章ということになる。理性的に書こうとしてかえって妄言めいたものになっているようにも思えるが、言いたいことはベルイマン作品とかが好きな人には刺さるものがあるということだ。

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Date: 2019.04.19 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (0)

『ザ・プレイス 運命の交差点』 謎の男の正体?

 監督は『おとなの事情』のパオロ・ジェノヴェーゼ
 元となっているのはアメリカのドラマ『The Booth ~欲望を喰う男』とのこと。

パオロ・ジェノヴェーゼ 『ザ・プレイス 運命の交差点』 人々の願いを叶えるという謎の男(ヴァレリオ・マえスタンドレア)。彼は何だか疲れきっているように見える。

 ザ・プレイスという名前のカフェの一番奥の席には、いつも謎の男(ヴァレリオ・マスタンドレア)が座っている。その男は願いを叶えるのと引き換えに無理難題を要求する。
 たとえば病気の子供を救いたいと願う父親には「幼い少女を殺せ」と要求し、視力を取り戻したいという盲目の男には「女を犯せ」と指示したりもする。男の要求は無茶苦茶で、たとえその契約を履行することによって願いが叶うとしても、躊躇わずにはいられないようなものばかりなのだ。
 ここでは願いを叶えるためにどこまでできるのかということが問われることになるのだが、『ザ・プレイス 運命の交差点』では願いを叶えようとする人々よりも、その中心にいる謎の男が何者なのかという点に観客の関心が移っていく。男は一体何のためにそんなことをしているのか?
 一つの解釈としては試写会での解説にあるように、男が悪魔的な存在で、カフェの店員アンジェラ(サブリナ・フェリッリ)はその名前が示すように天使であるということになる。
 非常にもっともらしいのだが、腑に落ちない部分もある。メフィストフェレスのような悪魔は自分から狙った獲物に近づいていって誘惑しそうなものなのに、本作の男はカフェの席から一切離れることはないからだ。人々はどこかで彼の噂を聞きつけてはその席にやってくる。契約を履行するかどうかはその人次第であり、男はそれぞれに指示を与えたとしても対価として金銭を受け取るわけでもないのだ。

 ※ 以下、ネタバレもあり!

『ザ・プレイス 運命の交差点』 修道女キアラ(アルバ・ロルヴァケル)は神の存在を感じたいという。

◆無理難題の要求とその結果
 以下はまったく個人的な解釈だが、男は善意の存在であり、人々の願いを叶える力があるために渋々それをやっているというように見えた。男の指示はとんでもない行為ばかりだ。しかし、その結果を見てみると意外と丸く収まっているからだ。
 謎の男は本作に登場する9人の人々の関係をうまく操っているようにも感じられる。たとえば「幼い少女を殺せ」と指示しておきながら、同時に別の男には「その少女を守れ」と命じて危機を回避させようとしているし、女を犯すように命じられた盲目の男は、妊娠するように指示された修道女キアラ(アルバ・ロルヴァケル)と出会うことになり、愛し合ってキアラの願いを叶えることになる。
 それから旦那のアルツハイマーの進行を止めたいという老婆は、人の集まる場所に爆弾をしかけろと要求されるのだが、結果的には老婆は男に非難の言葉を浴びせるものの、夫のアルツハイマーを受け入れることを選んだようでもある。悲惨な結果になったのは、夫を振り向かせることを望んだ女性くらいだろうか。彼女はそれを叶えたにも関わらず、それ以上のものを求めたから悪い結果を招いたのかもしれない。
 全体の結果を見てみれば、奇跡のように子供の病気が治ったりはしたものの、謎の男が全能の力を有しているのかといえば、それには疑問符が付くことになるのかもしれない。ただ、謎の男は反社会的な要求をしているようでいて、彼とのやりとりがカウンリングのような役割となって、意外にも真っ当な方向へと導いているように見えるのだ(彼の仕事をカウンセラーだと指摘したのはアンジェラ)。

◆謎の男の正体?

 謎の男が渋々その仕事をやっているように見えるのは、男が疲れきっているからだ。男には人の願いを叶える能力があるが、それによって感謝されるわけでもなく非難されたりもするわけで、疲れるのも当然とも言える。
 そして、その能力は男が持っているノートの力による。男はそのノートによって命じる行為を決めているし、途中経過を書き込んだりもしている(改訂作業?)。最後の場面では男の姿は消え、そのノートだけが席に残っている。
 このノートを聖書の類いと解釈するのはそれほど強引なものではないだろう。男はそのノートを持っていたからある種の力を有していて、人が望むならばそれを叶えることもできる。男はザ・プレイスの奥の席でひたすら他人のために奉仕しているわけで、男自身が何かの欲望を見せることはない(元となったテレビドラマは“欲望を喰う男”となっているのだが)。そんなわけで男は疲れて去ることになるわけだが、ザ・プレイスにはすべてが書かれているかもしれないノートが残されている。その力を有効に使うことができるならば、人々の願いが叶えられるということなのかもしれない。

 前作『おとなの事情』では、様々な秘密を暴露され、誰もが恥をかき非難されるという状況のなかで、ただひとりだけ真っ当な男がいた。そうした男の存在がこの謎の男に反映しているような気もするのだがどうだろうか。巷の噂では、パオロ・ジェノヴェーゼは本作を含めて3部作を予定しているのだとか。
 『おとなの事情』も会話が大半の群像劇だったのだが、登場人物の組み合わせは様々だし、携帯電話のなかの秘密が暴露されるというシチュエーションがスリリングだった。それに対して本作では、謎の男と相対することになる9人はそれぞれが1対1で男が関わることになる(例外として1組のカップルがあるが)。これは修道女キアラの質問に対する男の答え「それぞれに神は一人」を意識しているのだろう。謎の男はそれぞれ相対する人にとっての神として現れるということなのかもしれない。ただ、男と9人が対面する場面が延々と続くという意味では、幾分か単調な感じは否めない。

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Date: 2019.04.14 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (1)

『麻雀放浪記2020』 タイミングがね……

 『麻雀放浪記』(和田誠監督)のリメイク。
 監督は『止められるか、俺たちを』『孤狼の血』などの白石和彌

白石和彌 『麻雀放浪記2020』 主役を演じるのは斎藤工。

 1984年の白黒作品『麻雀放浪記』は傑作として名高いわけで、それを今さら素直に作り直しても無謀なことは製作陣も当然わかっているわけで、オリジナルとはまったく毛色の違った作品になっている。
 舞台となるのは2020年で、日本が戦争に負け、予定していた東京オリンピックも中止となってしまったという無茶な設定。オリジナルの舞台が1945年の第二次大戦後だったわけで、『麻雀放浪記2020』は新たな戦後という設定なのだが、それが特段活かされているわけでもなく、そんな時代に1945年から坊や哲(斎藤工)がタイムスリップしてきたらというコメディとなっている。
 学ランに腹巻で首にはタオルというスタイルの坊や哲は、メイド姿のコスプレーヤーのドテ子(チャラン・ポ・ランタンのボーカル・もも)に拾われるものの、1945年の人間とは思われず、奇妙な設定のコスプレ男とみなされてしまう。しかも賭け麻雀は違法だからと禁止されていて、ゲームとしての麻雀しかない2020年の世界に坊や哲は失望することになる。

 来年の2020年はすでに「令和」の時代。そこに「平成」を飛び越えて「昭和」の男がやってきてしまう。そのズレが生み出すアレコレはなかなかおもしろい。テレビの麻雀番組でふんどし姿で人気者となる斎藤工の姿は、イロモノという自覚が潔い感じすらした。ただ、後半の見せ場となるはずの「麻雀オリンピック」の場面が盛り上がりに欠けたようにも思えた。
 というのも坊や哲の目的は、勝負そのものよりも九蓮宝燈を揃えて元の時代に戻るということだけだから。オリジナルでは命のやりとりめいた勝負ごとも、本作ではコンプライアンスへの配慮からかゲームとしての麻雀となってしまっているし、オリジナルでは登場人物が自分の女を売り飛ばしてまで勝負するのと比べると、『麻雀放浪記2020』は何かを失うかもしれないヒリヒリするような感覚がほとんどなかったのは残念なところ。
 オリジナルの『麻雀放浪記』はもちろんのこと、マット・デイモン主演の『ラウンダーズ』とか、ヒッチコック劇場の「南から来た男」あたりには、そうしたヒリヒリする感覚があってギャンブルにはまったく縁のない人間でも引き込まれるところがあったように思う。

『麻雀放浪記2020』 スキャンダラスな顔ぶれ? ピエール瀧の容疑はもちろんアウトだが、ベッキーは単なる色恋沙汰だったわけでちょっとかわいそう?

◆公開前のいざこざについて
 『麻雀放浪記2020』は公開前に別のことで話題となってしまった作品でもある。出演者のピエール瀧が麻薬取締法違反容疑で逮捕されたからだ。しかも保釈されてメディアの前で謝罪したのは公開日の前日だったりもする。某国営放送なんかは有料配信サービスでピエール瀧出演作品を配信停止にしたりもしているなかで、配給会社の東映の社長は「作品に罪はない」としてそのまま公開することになったようだ。
 ここでもしピエール瀧の出演場面をカットするなどの配慮をするとなると、過去の作品にまで影響が出る可能性もあるからだろうか。白石作品には欠かせない役者となっていたとも言えるピエール瀧だけに、その他の作品を守るためにもそうした釈明が必要とされたということなのかもしれない。
 ただ、ちょっとタイミングが悪かったような気もする。「作品に罪はない」と大見得を切って公開した作品が、いざフタを開けてみると悪ふざけとも思えるコメディで、一部ではかえって反感を買っているようでもある(もちろん製作陣は真面目に悪ふざけをしているわけだけれど)。たとえば評判のよかった『孤狼の血』(ピエール瀧も出演)のときだったら釈明も受け入れやすいんじゃないかと思うのだが、何ともタイミングが悪いのだ。
 それから本作には世間で注目を浴びた役者がほかにも顔を出している。AIユキを演じたベッキーと、大会の解説者として本人役で登場する舛添要一元都知事だ。今回のピエール瀧の逮捕も重なって、妙にスキャンダラスな顔ぶれになっているのだ。しかも劇中では「謝罪会見なんて形だけやればいい」みたいな場面もあって、先ほど触れた東映社長の会見さえも形だけのものと受け取られかねない状況とも言えるのだ。
 確かにほかの白石作品と比べると出来がいいとは言いかねる作品とはいえ、色々と不運が重なった作品とも思えた。一方で話題づくりにもなっていたとも言え、私自身はクリスチャン・ベールの化けっぷりが見事な『バイス』と迷っていたのだが、最終的にこちらを選んでしまったわけで一応客を呼ぶ効果はあったのかもしれない。

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Date: 2019.04.10 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (2)

『私の20世紀』 嬉しい誤算

 『心と体と』などのイルディコー・エニェディの1989年の監督デビュー作。本作は第42回カンヌ国際映画祭でカメラ・ドールを受賞した。

イルディコー・エニェディ 『私の20世紀』 リリ(ドロタ・セグダ)とドーラ(ドロタ・セグダの二役)は生き別れになるのだが……。


 1880年のハンガリー・ブダペスト。ある女性が双子を授かる。リリ(ドロタ・セグダ)とドーラ(ドロタ・セグダの二役)と名付けられたふたりはやがて孤児となり、引き離されることになってしまう。そして、20年後の1900年、リリは革命家となり、ドラは詐欺師となってブダペストに再び現れることに……。

 モノクロ作品なのだが光の使い方がとてもうまい。冒頭は1880年のニュージャージーはメンロパークでの光のパレードの様子。エジソンが発明した白熱電球を宣伝するための見世物なのだが、木に花が咲くようにぼんやりとした光が闇のなかに浮かび上がる様子は幻想的。カラー作品で同じことをやってもこれほど印象的にはならなかっただろうと思わせるほど、モノクロの映像が映える作品だったと思う。
 タイトルは20世紀の歴史を振り返るものを想像させるのだが、「私の」とわざわざ断りを入れているだけにごく一般的な歴史などは描かれない。エジソンの電球から始まった本作は、そうした光をスクリーンに投影することで誕生することになった映画というものが念頭に置かれているようにも思える。つまりはイルディコー・エニェディ監督にとっての20世紀とは映画の世紀だったということなのだろう(映画誕生100周年は1995年だったけれど)。明確にそうした映画史を振り返ることはないのだが、初期のサイレント作品の引用がなされているし、『上海から来た女』(オーソン・ウェルズ監督)のミラーハウスのシーンをそっくり真似たりもしている。
 ただ本作がおもしろいのは映画史への目配せみたいな部分ではなく、ある意味ではデタラメな語り口だろうか。星空から語りかけてくる声とか、なぜか唐突にしゃべるチンパンジーが登場したり(単に監督が動物好きなんだろう)、ほとんど意味不明とも思える自由な展開がとても楽しいのだ。

『私の20世紀』 ドロタ・セグダがとても魅力的だった。ミラーハウスの場面は『上海から来た女』っぽい。

 本作ではリリとドラとさらにその母親役という三役を演じたドロタ・セグダがとても魅力的だった。男に色目を使う詐欺師のドラと、革命に燃える堅物のリリ。ふたりの心の声が響いてくるところもいいのだが、溜息とか「うふふ」としか表現できないような様々な音の表現がとてもかわいらしかった。
 私はイルディコー・エニェディ『心と体と』を昨年のベスト10を入れるほど気に入ったのだが、世間でそれほど評判になっていたとも思えなかった。それにも関わらず急に監督デビュー作『私の20世紀』が4Kレストア版となって登場したのは嬉しい誤算だった。それともどこかで誰かが評価していたのだろうか?
Date: 2019.03.31 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (0)

『ブラック・クランズマン』 作品の出来よりも主張が大事?

 『ドゥ・ザ・ライト・シング』などのスパイク・リー監督の最新作。
 アカデミー賞では脚色賞を、カンヌ国際映画祭でグランプリを獲得した作品。
 原題は「BLACKKKLANSMAN」。中央に3つ並んだKがクー・クラックス・クランのことを仄めかしている。

スパイク・リー 『ブラック・クランズマン』 黒人のロン・ストールワース(ジョン・デヴィッド・ワシントン)とユダヤ人のフリップ(アダム・ドライヴァー)。

 時代は1970年代。コロラドスプリングスで初めての黒人警官であったロン・ストールワース(ジョン・デヴィッド・ワシントン)は、白人至上主義の過激派団体KKK(クー・クラックス・クラン)に潜入捜査することになる。
 これが実話なのだというから驚かされる。実際には黒人がKKKに潜入できるわけもないので、ロンがやるのは電話でKKK上層部の信頼を勝ち取ることであり、KKK内部に入り込むのは白人の相棒ということになる。
 原作となっている本ではこの白人の正体は明かされていないらしいのだが、本作ではそれがユダヤ人という設定となっている。KKKは黒人を忌み嫌っているわけだが、それだけではなくWASP(ホワイト・アングロ-サクソン・プロテスタント)以外はすべて劣っているという優性思想を抱いていて、ユダヤ人も黒人と同様の扱いになるらしい。だから実際にKKKに潜入することになるフリップ(アダム・ドライヴァー)は危ない橋を渡ることになっていく。

『ブラック・クランズマン』 パトリス(ローラ・ハリアー)のアフロヘアーがとてもカッコいい。

 KKKを描いた作品でありながら、たとえば『ミシシッピー・バーニング』みたいな深刻さよりも、アレック・ボールドウィン演じるトランプ大統領的キャラの暴言から始まる本作はコメディっぽい印象でもある(アレック・ボールドウィンのテレビ番組での持ちネタがトランプ大統領の真似なんだとか)。というのも登場してくる白人たちの多くはバカ丸出しで、そのおぞましい姿を嗤うことが意図されているからだ(『國民の創生』のKKK登場シーンに沸き立つ白人たちの姿は醜悪だった)。
 そして、その反対に「ブラック・イズ・ビューティフル」というスローガンを鮮明に感じさせる。ロンやパトリス(ローラ・ハリアー)のアフロヘアーには、黒人であることを肯定するような意味合いがあるらしい(町山智浩の指摘)。ロンは珍しい黒人警官として差別的扱いを受けながらも、本作では虐げられる側としての黒人の姿だけではなく、ロンとパトリスのダンスのような楽しい場面もふんだんに盛り込んでいるのも、そうしたスローガンを意識しているのだろう。
 それでもやはり黒人の置かれた状況は笑えないところもある。ラスト近くでハリー・ベラフォンテ演じる長老が語るのは、黒人がリンチされ焼き殺され、バラバラにされて記念品とされるという信じがたい話だ。さらにはそうした怒りが高じてきたのかのように、最後にはそれまでの物語を無視してまで最近の事件(こちらのページを参照)を無理やり挿入している。そして、トランプ大統領本人が差別主義者たちを擁護する発言のニュース映像が続いていく。作品の物語は1970年代のものだけれど、醜悪な事態は今も続いているということを明らかにしているのだ。

 スパイク・リーはアカデミー賞作品賞受賞の『グリーンブック』には不快感を示していた。『グリーンブック』の黒人ピアニストが、結局は白人にとって都合がいい存在になっているからだろう。もちろんそうした主張はわかるのだけれど、作品として『ブラック・クランズマン』が『グリーンブック』より出来がいいかは微妙な気もした。
 『ブラック・クランズマン』は構成がゆるく全体的にとりとめがない感じが否めなかった。私自身はスパイク・リー作品は『マルコムX』しか観てないので、それがスパイク・リーのスタイルなのかはよくわからないが……。
 特に最後のニュース映像は、その主張の正当性を印象付けるという意図は果たしてはいたとしても、作品としてのまとまりを欠くことにもなってしまっている。ただ映画の出来以上に、その主張を強調することが必要だったということでもあるのだろう。残念ながら警鐘を鳴らす必要性がまだまだあるわけだから……。

ブラック・クランズマン


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スパイク・リーの作品
Date: 2019.03.27 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (3)
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新作映画(もしくは新作DVD)を中心に、週1本ペースでレビューします。

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